昭和40年07月20日 夜の御理解
今日ある方にお話した事で御座いますけれども、この頃から御造営の実行委員の方に対する、一例が出ました。それがここの信心を頂いておるそんな方に出たわけですから、ま沢山な数で御座いました。いうなら一軒のうちに親子三人が、信心しておりゃ親子三人のものに頂けておる訳なんですから、大した事でもない様ですけれども。これがね後々になってこれが家の宝と言う事になるかも知れんよと、私が言うわけなんです。
但しそれは、勿論私が愈々信心の徳を受けて、愈々椛目の今後の御ひれいが、燦と輝くようになったら、私達のジジの時代、私達のババの時代、または先祖の人達がです、あの、御造営のときに、実行委員として加えて頂いておったというだけでも、その証になるのだから、値打ちが出るという。けど一軒のうち何枚でももらっとるからもうそれこそ、ちょいと棚の上にでも上げといて、なくする人も有るでしょう。ね、
ほこ紙にしてしまう人も有るかもしれません。けどもだから取っとかならんということではないですけれども、問題は値打ちなんです。ね、あの用紙一枚が、そういう値打ちのものになるということ。私は、修行時代に着せていただいておる洋服が、家内が、宝物のようにして直しております。靴なんかは、何べんか水害のときに流れとったのを、拾うて来てから、それこそ磨き上げて、それがもう、本当に底は抜けて、やぶれ、それこそ靴にフセが幾らも当ててあるような、靴なんですけれど。
それが、ちゃんと箱の中に入れて家内が直して有ります。ときには修行中に私があの、必ず携帯しておった破れたカバンもやっぱりそうです。これなんかはどうでしょう、私がほんとにおかげを受けたらです。もう金銭じゃないでしょう。ね、金銭では買えない私は値打ちのものとしておかげを頂いてくる。燦としてそのものが輝いてくる。ね、私は今日はほうこりゃ大した事の話と思った事が、ある方が御造営の六月分の献納がしてなかったからと言うて今日、お繰り合わせ頂いたからと言うて持ってみえた。
ちょうど私下がっておりましたからあちらで、お取次ぎさせて頂いたんですけれども、もう、ほんとにその、御繰り合わせ頂いたという事が、もう大変な喜びであり、これがそのように出来るということがもう大変な喜びである。そしてこう入ってきたら20日、菊栄会と塗板に書いてある。しかも菊栄会の日にお繰り合わせを頂いたといって喜んでいる。それで私先日から頂いておったあのご理解の、このことを話させて頂いた。
「徳つみて、栄える家や、菊の花」「徳つみて、栄える家や、菊の花」私はこの書いておるとをこう見せました。「もう先生これを頂けませんでしょうか」ち言うて。私は裏にも色々と教えを書いておりましたから「さあそうですな、ほんなら一筆書いてあげましょう」と。ちょうど菊栄会の日に、そのお歌を頂くということは本当に、こうして徳を積ませて頂いて、本当に栄える家や菊の花と言う様なおかげを頂きたい。
それで私はここで半紙に、半紙半枚にこの句を書いて渡した。そして私は書かしていただいてから、その人にここで御祈念させて頂いておりましたら、あのなんですかね、金、金の短冊ですねえ短冊じゃないけど、短冊のように切ってあるとにね、赤い二十万と書いてあった。私はこの半紙に書いたね、そのこの「徳つみて、栄える家や、菊の花」という。赤い二十万とこう、金の札に書いてそれに貼ってあるのを頂いた。
ははぁこりゃ私の書いたものが二十万がたあるのじゃろうかと私は、思うた。「大したことじゃないですが」ち。私が書いたものが二十万になったち。そういう意味じゃございませんでしたけれどもです。赤い二十万と書いてある。その後私は勿論 ・・?であるから申しもしませんでしたけれども、それをもうほんとに押し頂くようにしてから それを頂いて帰られました。
ただそれが綺麗なあの、四角い色紙形にこう表装してあるのを私が御心眼にに頂いたのは。ですからこれはね表装屋に持って行けば、もうすぐにしてくれますからね。だからおしもんでいったっちゃよか、「向こうで表装してくれますから、色紙形のそれにしておかれるといいですよ」というて、そのことだけ私は申し上げておきました。ま早速そうさせていただきますと言うて、頂いて帰らせていただいてです。
今晩方ちょっとお金がいるわけなんです。私はこの頃毎日銀行へ持っていくから、お金がないのです。それで何時も朝調べるんですけれども、今晩の御初穂整理させて頂いたらやっぱりその、今日の御造営のそのう六月分奉納というのの、開けたら二十万入っとった。神様は二十万の値打ちのあるものとしてですたい、神様が渡されたという感じです。私が書いたつがよかつ、よかだその字がよう出来とるからち、そんなもんじゃあない。ね、私は思うのに字が上手とか下手とか、というわけじゃない。
例えば私が、修行中に着せて頂いた破れ服が、破れ靴が、破れカバンがです、もう金銭じゃないと言う事。問題は私がおかげさえ頂けばですよ。ね、私がおかげを落としゃ、ここで述べるほどの大事はしません。はぁこりゃじじが下げとっちゃ、こんなもん何にもあろうかいというて、捨てるに違いありません。けれどもここに徳が残ってじいのおかげで、先代のおかげでと言う事になればです。あれがここの家宝になるでしょう。
金銭じゃないです。字が上手とか下手とかと言う事じゃないです。問題はだから私共自身がです、やはり値打ちを頂く以外にないと言う事が分ります。それこそ「徳つみて、ね、栄える家や、菊の花」そいうおかげを頂くためにです、これも先日から頂いております中に、ね、「黙々と、断酒の心、菊づくり」というのがあります。「黙々と、断酒の心、菊づくり」、だんしゅとは、酒を断つと書いてあります。ね
、様々なこれは修行致して居りましょう。自分の好きなものを絶ってでも、と言うてしておる。ね、そこに私は徳を作る菊を作っていく。「みな祝う大いなる世や、月見つつ」というのがある。こういう世に椛目としてのですね、大いなる時代に生れ合わせておった、信心し合わせておったと言う事だけでも有難い。これは本気でここ一番、本腰を入れなければならないぞと言う様なです。
信心がなされなければならないのじゃないでしょうか。後から例えば御造営なら、御造営が済んでから幾らはずんだっちゃ、もう値打ちはなかです。値打ちがないと言う事はないけれども、御造営の時ほどの私は値打ちはない。問題は値打ちのあるものにしていかなければいけん。「黙々と、断酒の心、菊づくり」とくに、菊栄会の人達なんかはそこんとこを、目指してある方たちが通っておる事を私は、ようく知っておる。ね、
ですからそれが本当に大いなる世に、生まれ合わせて頂いたと言う事がです、ね、有り難いという信心。自分の月見つつというのは、自分の心を見極めつつ、と言う事でしょう。暗い思いをしておるときには、いわばもう心が黒々になっている時であり、心が本当に喜びで一杯の時には、満月の様な心の状態であろうと。半月の時にはそれに相当の光しか頂けないと言う様にです。
それを自分の心と取り組み、自分の心を見極めつつです、進めていかなければならない。ね、そこに自分自身の、いわゆる徳というか、値打ちもついて行く。ね。自分の頂いた御用そのものが値打ちのある御用となって行く。今日は、ちょっと菊栄会という日にあたって、菊栄会の日に、このお金のお繰り合わせを頂いたという、いやあ、今日はもう、いっこも、全然知らなかった、ここにある塗板をみてから。
今日は親子で来ておりましたが、今日はあんた菊栄会の日じゃないですか、「おかげ頂いた」ち、言うわけなんです。そのくらいに、いわば菊栄会という日とは、ここの信者一般の方達からでも、一種違った意味合いにおいて、見られておる。菊栄会の日にお繰り合わせを頂く、菊栄会の日にそれが出来るということは、有り難かった。先月お繰り合わせを頂かなかった事もまた、おかげであるという事になるんじゃないでしょうかねえ。
おかげ頂きました。